スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ325px以内のバナーが使えます。 スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ325px以内のバナーが使えます。
スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ325px以内のバナーが使えます。 スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ325px以内のバナーが使えます。
スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ200px以内のバナーが使えます。 スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ450px以内のバナーが使えます スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ200px以内のバナーが使えます

2016年09月15日 (16:18)

至近距離被曝者の兒玉光雄さんが原爆を語る【放射線の怖さを】

原爆の爆心地から、876メートル先、
旧制広島県立広島第一中学校で被爆した、
兒玉光雄さん(83歳、こだま・みつお、
昭和7《1932》年9月24日生まれ)による、
福祉講演会「ヒロシマからのメッセージ
~放射線と闘う至近距離被曝者・命の記録~」が、
瑞浪市総合文化センター(土岐町)で開かれた。
01DSC_1824.jpg02DSC_1834.jpg
社会福祉法人「瑞浪市社会福祉協議会」
(渡邉勝利会長)が主催し、
市民ら約80人が、聴講した。
講演会に先立ち、
原爆被災記録映画「ヒロシマ・母たちの祈り」
(株式会社日本映画新社)を上映。
続いて、兒玉光雄さんが登壇した。
03DSC_1841.jpg04DSC_1856_2016091515252858e.jpg
兒玉光雄さんは、
旧制広島一中1年生(12歳)の時に被爆。
当時、307人の1年生がいたが、
半数は、作業のために、屋外へ。
兒玉さんは、残りの半数として、校舎内にいた。
一命をとりとめたものの、火の手が回り、
校舎の瓦礫(がれき)に挟まった親友を、
救うことができなかった。
兒玉さんは「後から、『なぜ助けなかったのか』と、
いろいろ言われたが、どうすることもできなかった。
本当にすまん。ゆるせ友よ。
このことは一生、しこりとして残っている」と語った。
05DSC_1863.jpg06DSC_1872.jpg
また、兒玉光雄さんは、
「原爆によって、ひどいめに遭ったわたしが、
ここまで生かされたことに、自分でもびっくりしている。
ここまで生かされたのは、皆さんに、
原爆による放射線の怖さを伝えよと、
300人の同級生たちが、
わたしを激励してくれているから。
核と人類は、共存できない。
今後も、原爆がある限り、人類は衰退してしまうと、
警鐘を鳴らし続けたい」と訴えた。
カテゴリ : 瑞浪市記事のURL
スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ200px以内のバナーが使えます。 スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ200px以内のバナーが使えます。 スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ200px以内のバナーが使えます。 スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ100px以内のバナーが使えます。 スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ100px以内のバナーが使えます。
スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ100px以内のバナーが使えます。 スポンサーを募集しています。この部分には、ワイドサイズ100px以内のバナーが使えます。