2020年10月11日 (16:41)
妻木八幡神社で流鏑馬の代替行事【疫病退散を祈願】
土岐市妻木町の八幡神社(黒田和彦宮司)では、
毎年10月の第2日曜日に、土岐市指定無形文化財の
「流鏑馬」(やぶさめ)神事が奉納される。
しかし、本年度、令和2(2020)年度は、
新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防ぐため、
中止にすることを決めた。
本日、10月11日(日曜日)には、
流鏑馬の代替行事が行われたが、非公開で実施。
そのため、参加者は、
土岐市流鏑馬行事保存会(渡邉慶信会長)の会員や、
八幡神社の関係者、地元の自治会役員、
少年騎手・巫女(みこ)の保護者らに限った。


八幡神社の流鏑馬は、江戸時代初期の
元和9(1623)年に、妻木の領主だった、
妻木雅楽助家頼(旗本7500石)が旅所を造営し、
馬1頭を、八幡神社に寄進したことが始まりとされる。
明治3(1870)年を最後に、流鏑馬は廃絶したが、
明治14(1881)年に再興した。
流鏑馬神事の中止に伴い、鉄砲隊の武者行列や、
花馬・獅子舞・神輿渡御(みこしとぎょ)なども、
取りやめとなり、露天商の出店もなかった。
代替行事については、乗馬の練習時間が取れないため、
今年の騎手は全員、過去の流鏑馬経験者が務めた。
内訳は、社会人1人(妻木町在住・24歳)・
西陵中学校(妻木町)の生徒4人
(3年生1人・2年生2人・1年生1人)・
妻木小学校の6年生3人で、馬は木曽馬3頭を用いた。
ちなみに、巫女として、神楽舞を披露した、
妻木小学校の6年生2人については、いずれも新人。


流鏑馬の弓矢(弓取り式)については、
矢をつがえず、弓を引くまねだけだったが、
平成30(2018)年の神事から、
先にスポンジが付いた矢を、上空へ放つようになった。
ただあくまで、馬を静止した状態で行ってきたが、
今年は的を設置し、馬を走らせた状態で騎射した。
的には、新型コロナウイルス感染症の終息を祈願し、
妻木小学校の6年生が、寄せ書きをした。
騎射に挑戦したのは、騎手8人のうち、
社会人と中学3年生、中学2年生1人の計3人。
残りの少年騎手は「疫病退散!ホホーイ」などと、
掛け声を発しながら、参道を駆け上がった。
下の動画は、流鏑馬代替行事の様子を撮影。
毎年10月の第2日曜日に、土岐市指定無形文化財の
「流鏑馬」(やぶさめ)神事が奉納される。
しかし、本年度、令和2(2020)年度は、
新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防ぐため、
中止にすることを決めた。
本日、10月11日(日曜日)には、
流鏑馬の代替行事が行われたが、非公開で実施。
そのため、参加者は、
土岐市流鏑馬行事保存会(渡邉慶信会長)の会員や、
八幡神社の関係者、地元の自治会役員、
少年騎手・巫女(みこ)の保護者らに限った。


八幡神社の流鏑馬は、江戸時代初期の
元和9(1623)年に、妻木の領主だった、
妻木雅楽助家頼(旗本7500石)が旅所を造営し、
馬1頭を、八幡神社に寄進したことが始まりとされる。
明治3(1870)年を最後に、流鏑馬は廃絶したが、
明治14(1881)年に再興した。
流鏑馬神事の中止に伴い、鉄砲隊の武者行列や、
花馬・獅子舞・神輿渡御(みこしとぎょ)なども、
取りやめとなり、露天商の出店もなかった。
代替行事については、乗馬の練習時間が取れないため、
今年の騎手は全員、過去の流鏑馬経験者が務めた。
内訳は、社会人1人(妻木町在住・24歳)・
西陵中学校(妻木町)の生徒4人
(3年生1人・2年生2人・1年生1人)・
妻木小学校の6年生3人で、馬は木曽馬3頭を用いた。
ちなみに、巫女として、神楽舞を披露した、
妻木小学校の6年生2人については、いずれも新人。


流鏑馬の弓矢(弓取り式)については、
矢をつがえず、弓を引くまねだけだったが、
平成30(2018)年の神事から、
先にスポンジが付いた矢を、上空へ放つようになった。
ただあくまで、馬を静止した状態で行ってきたが、
今年は的を設置し、馬を走らせた状態で騎射した。
的には、新型コロナウイルス感染症の終息を祈願し、
妻木小学校の6年生が、寄せ書きをした。
騎射に挑戦したのは、騎手8人のうち、
社会人と中学3年生、中学2年生1人の計3人。
残りの少年騎手は「疫病退散!ホホーイ」などと、
掛け声を発しながら、参道を駆け上がった。
下の動画は、流鏑馬代替行事の様子を撮影。